正規の美術教育を受けていない人が自発的に生み出した、 既存の芸術のモードに影響を受けていない絵画や造形のことをアー ル・ブリュットと呼んでいる。画家のジャン・ デュビュッフェが1945年に考案したカテゴリーである。
兵庫県立美術館で3月25日まで行われている企画展のタイトルは 「解剖と変容:プルニー&ゼマーンコヴァー チェコ、アール・ブリュットの巨匠」。チラシでは「アール・ブリュット」という単語が小さくあまり目立たない。同じ大きさでプルニー& ゼマーンコヴァーの文字も表記されているのだけど、アール・ブリュットを目立たせた方が人は入りそうなのにと、不思議に思った。
会場に入ると「はじめに」という文章の中でアール・ ブリュットについて言及され、今回の展覧会の出品作品は、 すべてフランス、パリのabcd(art brut connaissance & diffusion=アール・ブリュット:理解と普及) コレクションの所蔵作品であることと、 abcdの略歴が紹介されていた。やはり展示を見る前にアール・ ブリュットは押さえておくべきワードのようだ。
ひとつ目のフロアには、プルニーの作品とゼマーンコヴァーの作品が左右 で区切られて一緒に展示されていた。作品よりも目立つように、2人のプロフィールが壁に貼られている。あまり広くはないフロアにわざわざ、いっぺんに2人を紹介するのには意図があるのだろう。そのフロアを抜けると今度は1人の作品をひとつのフロアで紹介するのが続き、広いフロアでは左右で区切って2人一緒に展示していた。
最初のフロアで2人の作品を一緒に見せ、その作品を見せる前にアール・ブリュットと2人のプロフィールが目につくように配置していることと、チラシでの「解剖と変容」が目立つようにデザインされていたことへのギャップが気になった。チラシを見る感じだと、アール・ブリュットや2人の背景を意識した状態で作品をみると、それらの情報が2人の作品を見る上で邪魔な情報であるから、まずはなんの偏見もなしに作品(「解剖と変容」)をみてほしい。というような意志を感じていたので、そう思った。
プルニーの作品は創作(自己探求?)への欲求がストレートで可笑しなユーモアを感じ、ゼマーンコヴァーの作品は( 強烈な母性という名の)ディストピに生える植物(生命体?) に見え、 近づくものを全て食ってしまいそうなエネルギーを感じた。タイトルが「解剖と変容」であるために、どちらかが解剖でどちらかが変容なのかと思っていたけれど、2人で行われている展示に対してのタイトルなのであって、作品を単語で形容していたわけではないのだろうと感じた。